تسجيل الدخولリリシアは胸が締め付けられるような想いでルファルを見つめる。(ルファル様……そんなにはっきりと、おふたりの前で……っ)リリシアの胸は言い知れない不安できゅうと締め付けられるのと同時に激しく波立った。――ずっと頭では分かっていたことだ。身分の不釣り合いなわたしではなく、『天の願いの力』を持ち合わせるラズエラ様こそがルファル様の花嫁となるのが相応しい、と。そしてラズエラ様こそが、ずっとルファル様の婚約者として定められているお方なのだから。どう考えても、血筋を重んじる母君様はきっと目の前に座る気高く美しいラズエラ様をお選びになるに違いない――――。「ラルファル、頭をお上げなさい」ヴァイオレットの落ち着いた声に促され、ルファルはゆっくりと顔を上げる。「……ですって、ラズエラ」ヴァイオレットが視線を向けると、ラズエラはどこか晴れやかな、そして優美な微笑みを浮かべた。「――はい。ルファル様のお考えをこうして直接お聞き出来て、本当に良かったですわ。……元よりわたくしは、身を引くつもりでしたから」「え……? ラズエラ、様……?」予想もしなかったその言葉に、リリシアは思わず信じられない思いで声を零した。「実は、あの世異に魂を奪われていた影響で……天の願いの力も奪われてしまったようで。わたくしの中の力が、すっかり失くなってしまったのです。ですのでもう、あの神秘の力は残っておりませんの」「そんな……取り返しのつかないことになってしまうなんて……ラズエラ様、わたしのせいで、ほんとうに申し訳ありません……っ」「謝罪などなさらないで。決してリリシア様のせいではありませんわ。……それに、なんの力もない今のわたくしでは、これからのルファル様のお力には到底なれません。ですから――リリシア様、どうかこれか
* * *それからの日々は、あまりにも目まぐるしく、まるで夢の中にいるようだった。秘密の部屋の扉が勢いよく開いたかと思うと、リリシアの意識が戻ったことを知ったエルシー達が次々と押し寄せて来た。「リリシアちゃん、良かったよぉ~っ!」エルシーはリリシアの胸に飛び込び、顔をぐしゃぐしゃにしながら、まるで子供のようにわんわんと泣きじゃくる。その温かさに胸が締め付けられると、アルベルトとリゼルが両手いっぱいの見舞いの品を抱えて近づいてきた。リリシアはそのふたりの姿に思わず圧倒される。「まずはしっかり栄養付けねぇとな!」「リリシアの為に、吟味して選んだんだ」アルベルトとリゼルは、次々と気遣いが込められた菓子や花等の見舞いの品をリリシアのベッド脇のテーブルへと積み上げていく。ふたりからの不器用な優しさに、思わず笑みが零れる。けれどそんなふたりを横目に、テオは腕を組みながら呆れたように大きく息を吐き出す。「全く、勝手に何日も眠りこけて、勝手に目を覚ましてんじゃねぇよ……!」あまりの剣幕に驚きつつも、その声音の端には確かな安堵が滲んでおり、どこかホッとしてしまう自分がいた。そんなリリシアにハノが静かに微笑んで声をかける。「リリシア、こうして目覚めてくれて、本当に良かった」「……ハノ様も、ありがとうございます」リリシアは胸がいっぱいになりながらも、やっとの思いでそう言葉を返した。その直後のことだった。再び扉が開く。少し遅れて訪れたユエリアの姿を見た瞬間、互いに言葉を失った。駆け寄ってきたユエリアとぎゅっと強く抱き合い、互いの温もりを確かめ合うように、ふたりはただ静かに涙を流す。そこへ訪れていたラズエラが気品ある佇まいで歩み寄り、そっと声をかけてくる。「リリシア様、ずっと心配しておりましたが……本当に良かったですわ」その美しい瞳が潤んでいるのを見て、胸が熱くなった。するとそこへ、ソフィラが温かい眼差しで近づいてくる。そして、手を握り、名を呼んだ。「リリシア様……」リリシアもすぐさま名を呼び返す。「ソフィラ、さん……」互いの名前を呼び合った瞬間、溢れる想いに堪えきれず、ふたりして涙ぐんでしまった。だが、それだけに留まらず驚くことに、今度は気高い気配と共に、側近を制したシャイン皇帝自らがこの部屋へ足を運ばれた。その神々しいお姿の
* * *深い眠りの底から、すぅっと光に導かれるかのように、リリシアは目を覚ました。月の光が、優しく窓辺を照らしている。――この天井に見覚えがある。ここは以前、宝石の魔術を体に馴染ませる儀式を済ませる為、シャイン皇帝が用意してくれた秘密の部屋。あの夜、確かにここで一晩を過ごしたのだと思い出す。ふと、手に優しい温もりを感じてそっと視線を向けた。そこには、両膝を床についたまま、自分の手をぎゅっと握り締めた状態で布団に顔を埋(うず)めて眠っているあの方の姿があった。「……ルファル、様……?」掠れた声で名前を呼ぶと、それに反応するようにルファルがゆっくりと瞼を持ち上げ、布団から身を起こした。「リリシア、良かった……ようやく目を覚ましたか」「よう、やく……?」「倒れてから、丸3日眠っていたのだぞ」驚きのあまり、リリシアは思わず目を見開いた。「丸3日も、ですか……?」「ああ。お前が倒れてからの宮殿は大変だった。この部屋に運び込んで寝かせた途端、エルシー達が一斉に詰めかけて大騒ぎになったかと思えば、ユエリアやラズエラ、ソフィラ、それにカイスまで酷く心配して駆けつける有様で……。挙句の果てには側近を制して入ってきたシャイン皇帝が自らお前を診て下さったのだからな」ルファルは、ふぅ、と小さく息を吐き出す。「シャイン皇帝のお言葉によれば、皆を癒やしたせいで月姫の力が急速に枯渇し、危険な状態ではあるものの、私の方から月の魔術を送り続ければいずれ目覚めるだろう、とのことだった。だから、ずっとこうしていた」「え……これまでずっと、ですか? ルファル様、お身体は大丈夫なのですかっ!?」リリシアは慌てて上半身を起こそうとする。けれどルファルが、すっと手を伸ばし、リリシアの背中を優しく支えながら起こした。「おい、無茶をして一人で起き上がろうとするな。お前
そうして世異が完全に消滅した直後、リリシアの両掌に皆の魂が降りてきて――。気づけば、見慣れたフェリカディア宮殿の庭らしき場所に立っていた。「リリシア」不意に名を呼ばれて振り返ると、ルファルも同じ場所に立っていた。そして、その視線の先には――。騎士団の人々。ハノ。エルシー、ユエリア。テオ、アルベルト。リゼル、ラズエラ。カイス、ソフィラ、シャイン皇帝の側近。更にシャイン皇帝までもが雪の降り積もる冷たい地面に静かに倒れていた。その光景に胸がぎゅっと締め付けられる。「ルファル様、戻ってこられたのでしょうか?」「ああ。間違いなくここはフェリカディア宮殿の庭だ。リリシア、その魂を皆に」ルファルに促され、リリシアは頷き、あの温かな日常を取り戻す為、両掌をそっと天へと掲げた。すると、リリシアの掌から暖かな精霊の光を纏った魂たちが、それぞれの心の元へと優しく還ってゆく。それと同時に、月姫の力の光が天から雪降る庭へと降り注がれた。月姫の神聖な光に包まれると、皆の深い傷がみるみるうちに治っていく。不思議なことに、凍てつく地面の雪は嘘のように溶け、その跡から名も知らぬ美しき花々が芽吹いていく。そうして朝日が差し込む中、庭一面にその花が鮮やかに咲き誇った。「ルファル様、花が……こんなにも綺麗に……」「月姫の力の光の影響だろう。とても美しいな……」「はい……」夢のような景色をふたりで見つめながら、リリシアはようやく確信し、言葉を告げた。「ルファル様、全て、終わったの、ですね」「あぁ。ようやく全て終わった。……長かった」ほんとうに、そう呟きかけて、リリシアは言葉を失った。ルファルが、今まで見たこともない程に優しく、愛おしそうな瞳でこちらを見つめていたから。「――お前がいてくれたからこそ使命を果たすことが出来た。
――――皆が、死んでしまった……? ルファルの身体に触れていたリリシアの手が、力なく冷たい床へと滑り落ちてゆく。 そんなはずが、ない。 夢だと、どうか嘘だと言って。 (皆様が、ルファル様を守る為に張った最後の結界が、あんな一瞬で破られてしまうなんて――) 「――リリシア、大丈夫だ」 そんな冷たい絶望の中、不意に耳に届いたのは、紛れもない、あの方の、ルファルの落ち着いた低い声だった。 縋(すが)るような、希望を見出すような思いでうつ伏せのまま少し顔を上げると、背中に気高い白い翼を広げたルファルが、息を呑む程に美しい姿で傍らから静かにリリシアを見下ろしていた。 「皆の魂の気配を奴の中から微かに感じる」 「で、では……?」 「まだ奴の中で“生きている”」 ルファルはそう告げると、優しくリリシアを抱き起こし、床に落ちていた月紐を拾い上げて、左の手首にしっかりと巻き付ける。 (ルファル様の月紐のおかげか……不思議と、あんなにも凄まじかった左肩の痛みが嘘のように引いていく……。それどころか、体の奥底から温かな力が湧き上がってくる……) この温もりを感じているだけで、心の震えが少しずつ収まっていくのが分かる。 「リリシア」 ルファルのその凛とした一言に、リリシアは力強く頷いた。 (もう怯えない。わたしも、ルファルと共に) ルファルと立ち上がり、今度は一層強く、清浄な光を宿した結界を彼の周りに張り巡らせる。どうか、わたしのこの光がルファル様を守り抜いてくれますように。「ルファル様」 リリシアの呼びかけに、ルファルは静かに頷き返してくれた。 気高い光の結界に包まれたまま、ルファルは悪鬼のような形相をした世異の元へと風を切るように飛んでいく。 そして、ルファルが剣を振り下ろすと同時に、夜空の月をなぞるように清浄で神々しいドラゴンが顕現する。 直後、ルファルがそのまま剣を横薙ぎに引くと、ドラゴンは禍々しい気配を放つ世異を鋭く睨(にら)み据えた。 すると世異は顔を歪め、言葉を吐き捨てる。 「光を放つな。奪おうとするな。壊そうとするな」 世異の姿は狂気に満ち溢れ、怒りを剥き出しにして更に続けて叫ぶ。 「私とリリシアの、ふたりきりの幸せな世界の訪れの、邪魔をするな!!」 狂気そのものの叫びと共に、世異は両手で剣を高く振り上げた。 その目
* * * 床に冷たい倒れ込んだまま、リリシアはすぐ傍らにいるルファルの姿を見つめた。 目の前では、ルファルの姿をした偽者の男――世異が、片膝をついたルファルの額へとゆっくりと掌を近づけていく。 そして、世異の禍々しい掌が、ルファルの額に触れた瞬間。 「う、わああああああああ!!」 ルファルが激しく身を震わせ、苦悶に身をよじらせ絶叫した。 苦悶の声は玉座の間全体に響き渡り、その姿を見ただけで、胸が張り裂けそうになる。 (ルファル様っ……!)ルファル様を奪わないで。 どうか、この方をこれ以上苦しめないで。「このまま苦しみながら永久に眠れ」 世異の冷徹な声が冷たく響く。 「させ……ない……」 リリシアは震える手を必死に伸ばす。 冷たくなった指先を這わせてでも、リリシアはこの方に触れたかった。 「ルファル様は……わたしが、お守りします」 リリシアの指先がルファルの身体に触れた瞬間、胸の奥底から溢れ出た強い想いに応えるように、ふわりとルファルとリリシアの身体を優しく包み込む温かな光が広がった。 ルファルを守ろうとする清浄な結界が張り巡らされ、世異は舌打ちをして僅かに距離を取る。 「はぁ、リリ、シア、っ……」 リリシアを気遣うように紡がれたそのルファル声に、リリシアは胸がいっぱいになりながら、せめて安心してもらえるよう、優しく微笑みかけた。 大丈夫です、わたしがついていますから――そう伝えたくて。 「おのれリリシア、まだラルファルを守るか。リリシアに守られて情けない奴め」 吐き捨てるような世異の言葉に、床に倒れていたエルシーが悔し涙を流しながら泣き叫ぶ。 「ルファル様を馬鹿にしないでよぉ!」 エルシーの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。 その声には震えが混じりながらも、誰よりも熱い想いが込められていた。 「ルファル様は最強魔術師! 誰よりも強いんだからぁ!!」 エルシーは絞り出すような叫びと共に、眩い星の魔術の精霊の光をルファルへと飛ばした。 「……っ、ルファル」 同じように床に倒れていたハクもまた、苦痛に耐えながらルファルの名を静かに、けれど強く呼び、海の魔術の青く美しい精霊の光を託す。 「隊長」 「受け取れ」 テオとアルベルトが、圧倒的な雷の魔術の精霊の光、そして鮮やかな焰の魔術の精霊の光を続けて放つ。 「僕らの
* * * それからというもの、リリシアは月を見る度に体調を崩すようになった。 ユエリアは月の魔術の力を完全に閉じられ、病に伏せた。 そして、ユエリアの「ドラゴンに似たイーグルの怪異を見た」という説明のおかげで怪異が原因なことを両親に信じてはもらえたが、リリシアはベルフォード家の恥、「月影」と呼ばれ、朝から晩まで家事と雑用を押し付けられ、夜は鳥籠のような部屋に閉じ込められる日々が続き――、18歳となった今もそれは変わらない。 「月影! お前が樹木に触れ、怪異を呼び寄せなければ!」 毎晩のように、母が叫び声を上げ、押し込められている部屋の扉を乱暴に開けられ、中から引きずり出される。
* * * それから月日は流れ、とある朝。 「もう一ヶ月になるのね…………」 リリシアは窓拭きの手を止め、嘆き息を吐く。 家を元に戻したい、姉の役に立ちたいと日々奮闘しながら勤め、ようやく慣れてきたけれど、月を見る度に体調が悪くなり、体質がバレないかとひやひやするのは相変わらず続いている。 ふと何やらざわめく声が聞こえ、リリシアは視線を送ると、宴の部屋の前にメイド達が集まっていた。 一体なんの騒ぎだろう? リリシアも近づき、少し開いた扉から中を覗く。 するとルファルが舞台の椅子に座り、黒色の大きくお洒落な楽器を弾くうるわしの姿が両目に映った。 「ルファル様のグランドピアノの演
「――勘違いをするな。私は嫁いだとは微塵にも思っていない。お前はただの下働きだ。いつでも死んでくれて構わない」酷く冷たい刃のような言葉。そう言われることは始めから分かっていた。なのに体が一瞬ぐらつきそうになり、必死に耐える。「かしこまりました」リリシアは了承すると、ただ深々と頭を下げた。震える手を握り隠し、倒れてけどられないよう、ぐっと足を踏ん張る。すると足音が徐々に近づき、リリシアの隣をルファルが通り過ぎた。ルファルはカイスにワイングラスを手渡し、部屋から出て行く。リリシアは、ほっと息を撫でおろす。ルファルが通り過ぎる時、「――」と何かを囁いた気がしたけれど、なんとか、や
* * * わたしは月に嫌われている。 そんなことは分かっていたのに。 リリシアは内心で嘆く。 美しい青年がリリシアをお姫様抱っこし、銀色の月に照らされた夜道を歩き続ける。 その度に揺れる月紐で一本に結ばれた、うるわしき髪。 リリシアは、ぐったりとしたまま胸に誓う。 決してこの青年に悟られてはいけない。 姉を、そして、家を救うまでは――――。 * * * 帝都の離れに一軒の小さな家がある。 その玄関前の庭で箒を握り、落ち葉を掃く小さな娘がいた。 「リリシア、髪、ボサボサじゃないの」 父と共に家に帰ってきた姉が小さな娘、リリシアを見て言う。 「あ、お姉さま、お父さま、







